【STORY 眞庭城聖】ルーツは奔放なストリート時代! 頼れるベテラン

滋賀レイクスターズ

茨城ロボッツや山形ワイヴァンズでキャプテンを経験したベテラン眞庭城聖は、高いリーダーシップを備えた人格者だ。だが、意外にもプロ選手になる前は今とは真逆の“自由奔放”な人柄だったという。

福岡県で生まれ、小学5年からバスケットボールを始めた。それまでサッカーをしていたが「守備だけのGKがつまらなくて。バスケットは自分で得点できるから楽しかった」と、あっさりと転向を決断。これが“オフェンスマシン”眞庭のルーツだ。
高校ではセンターを務めたが、日本体育大学でフォワードにコンバート。すると全日本インカレで2年連続(2006、07)で3Pシュート王に輝くなど、オフェンス能力が一気に開花した。大学4年ではキャプテンを任され、U22日本代表にも選出。将来を嘱望された。しかし、大学卒業後はプロへの道を模索することなくモデルになるという意外なキャリアを選ぶ。

「子どもの頃からモデルをやっていて、将来はモデルになることが目標でした。だから、プロ選手になる発想はなかったですね」
バスケは趣味として「ストリートバスケ」で続けていくことにした。スタイリッシュでオフェンシブ、時には「トラッシュ・トーク」で相手を挑発するストリート独特のスタイルに魅了されたという。
実はこの時期、滋賀レイクスの原毅人代表取締役社長兼GMともストリートの舞台で対戦していた。
「お互いに挑発的な言葉でやり合っていた記憶があります。たぶん、今の2人から皆さんは想像できないと思いますが…(笑)」。この出会いが、巡り巡って滋賀レイクスでの再会へとつながっていくのだから人生はおもしろい。

ストリートの眞庭に転機が訪れたのは2012年。NBAが主催する『NBA 3X』で優勝し、大会MVPに輝いたことで仲間たちの反応が変わった。
「周りから『プロになれる実力があるのだから目指してみたら?』と言われることが増えました。そもそも規律だらけの〝5人制バスケ〟が嫌でストリートに転向したのに、またあの世界に戻るのかなど色々と考えましたが、今を逃すとプロの道はないなと思って、トライアウトを受けることにしました」。



トライアウトは軽い気持ちで受けた。だが、会場に着くと周りの選手たちがスーツ姿だったのに対して、眞庭は金髪、ピアスのストリートスタイル。しかも、身長が高いという理由で紅白戦のポジションは高校生以来のセンターに。「これは落ちたな」と思ったという。

それでも、熊本ヴォルターズ(当時NBL)から声がかかったことでプロの道が拓けた。当時の眞庭は、今の姿からは想像できないが、練習に遅刻したり、試合に出られず腐ったりと自由奔放が抜け切っていなかったという。
「先輩によく怒られましたし、怒られる度に『やめてぇ』とか思っていました。それでも先輩たちはオレの面倒を見続けてくれて。今の自分があるのは熊本時代のおかげです」。

その後、眞庭は2017-18シーズンにB2リーグ日本国籍選手最多得点をマークするなど選手として大成していく。同時に、キャプテンという看板を背負う機会が増えた。茨城ロボッツでは3シーズンにわたってキャプテンを任され、昨季は山形ワイヴァンズでもシーズンキャプテンを務めた。
歳を重ねる度に、若い選手を指導するメンターとしての役割も増えた。時々、若い選手を見て自分の昔を思い出すらしい。「オレもあんな時期あったなぁと。なんとなく若い選手の気持ちも分かるので、自分の経験を生かしながら接し方を工夫したりしていますね」。

滋賀レイクスには高卒ルーキーの湧川颯斗をはじめ若く、これからプロキャリアを重ねていこうとする選手が多い。まさにベテラン眞庭の経験値が最も生かされるチームだろう。

眞庭城聖
JOSEI MANIWA



背番号:27
ポジション:SF
身長/体重:193cm/92kg
生年月日:1986年5月27日 
出身地:福岡県

経歴/Career

福岡市立福翔高-日本体育大
2013-15 熊本ヴォルターズ(NBL)
2015-16 ライジング福岡(bj)
2016-21 サイバーダイン茨城ロボッツ/茨城ロボッツ(B2)

∟2017-18、2018-19、2019-20シーズンキャプテン
∟2017-18 B2日本国籍選手最多得点(785得点=1試合平均13.1得点)
∟2020−21 B2準優勝=B1昇格

2021-23 山形ワイヴァンズ(B2)

∟2022-23シーズンキャプテン

2023- 滋賀レイクス

タイトルとURLをコピーしました