「東日本大震災から10年を迎えて」 福島県出身の船生、岩手県出身の小野寺、両選手のコメント

琉球ゴールデンキングス
 2011年3月11日の東日本大震災から10年の歳月が経ちました。被災された皆さまへお見舞い申し上げます。今日、プロスポーツチームとして日々活動できることに感謝し、今後も沖縄から全国へ元気を届けられるよう努めます。現在キングスに所属する福島県出身の#1船生選手、岩手県出身の#34小野寺選手の両選手からのコメントをご紹介します。

#1 船生誠也 選手


 震災当時、群馬県にある高校に通っており、ちょうど2年生から3年生に上がる時でした。その日もいつものようにバスケ部の練習に参加した後、顧問から「今すぐ実家に連絡しなさい」と言われ東北が震源地の地震が起こったということを知りました。その日は両親とも連絡が取れない状況で、寮のテレビでは津波の映像が流れていて、信じられない気持ちと心配な気持ちでいっぱいでした。数日後に両親と連絡が取れ無事が確認できましたが、17歳にして両親を失うかもしれないという非常に不安な気持ちになったのを今でも覚えています。
 東日本大震災は誰にとってもマイナスな出来事だと思います。ただ、10年経ってほとんどの人たちが前を向いていて、毎日震災のことを考えている人は少なくなっていると思います。そんな中で、東日本大震災を経験していない、知らない世代も増えてきていて、当時生まれていなかった子ども達が十歳になり、十歳だった子ども達が二十歳になり、子ども達の中ではあまり理解できていない子もいると思います。福島で起きたことを語り継いでしっかりと後世まで紡いでほしいと思っています。10年が経過し全国の方が忘れてしまうのは仕方ないと思いますし、3月11日に「東日本大震災が起きた日だ」と思い出してくれれば良いと思っています。
 地元に帰った時に、福島の海岸沿いには津波を少しでも防げるように防波堤ができていて、多くの対策や準備を個人レベルでも実施しているのを目にしました。沖縄の台風もそうですが自然災害は本当に何が起こるかわからないもので、10年前の出来事から学び、準備をし、同じ事を繰り返さない事が大事になると思います。そして、それを、震災のことをあまりわかっていない子ども達に伝えていく事が、本当に重要になると思います。
 自分が地元にできる事は本当に少ないですが、手の届く範囲で東北や福島の未来を担う子ども達をサポートしていきたいと思っています。オフシーズンなどは、父親が指導しているバスケットボールチームに可能な限り顔を出して一緒にプレーしたり、「アメリカで本場のバスケットボールをしたい」という思いの知り合いの子の後押しをしたり、そのような自分の周りへ手を差し伸べていく事を続けています。これからは、福島の子ども達が県外や世界に目を向け大きなことに挑戦していくことを支えたいと思っていて、そういった子ども達が増え、成長して大人になった時に福島を元気にしてくれると思いますし、震災のことをもっと深く考え伝えていく側になると思います。
 プロバスケットボール選手としてバスケットボールを通じ地元へ還元して、その小さな活動が、長期的に大きな力へと変化してくれればと思っています。

#34 小野寺祥太 選手

 10年前の東日本大震災の時、自分の地元は沿岸部ではなく津波の被害はありませんでしたが、周りの建物が倒壊したり電気やガスが止まってしまったりしていて、とても不安でした。
 地震や津波はもちろん大変でしたが、地震後の生活が非常に苦しかったことを覚えています。火や電気が使えなくなり、温かいものを口にすることはほとんどできず、自宅にあった食料も1週間足らずでなくなり、市役所の前で配給している食べ物をもらいに行っていました。一番きつかったのが、水の確保でした。飲み水はもちろんですが、トイレを流す水やお風呂に使う水などはほとんどない状況が長らく続きました。今でも当時の状況を振り返って、準備をしておくことの大事さを改めて感じています。2月13日にも福島沖で震度6の地震が発生し東日本大震災を思い出した方もいると思いますし、準備していた人やそうでない人もいたと思います。日頃から備蓄や準備というのは心がけていってほしいと改めて思いました。
 自分がプロに入ってからは、東北や地元に元気を与えられるような良いニュースを届けられるよう意識して活動しています。キングスに入団し沖縄でのプレーが多くなっている今も、岩手の地元雑誌へインタビューしていただいた記事を見てくれたり、キングスのSNSを見てくれた周りの方から連絡をもらったりします。そういう時に、「もうちょっとだけ頑張らなきゃ」という気持ちになりますし、プロスポーツ選手として自分しかできないことがあると思ってプレーしています。
 シーズン中は良いニュースを届けられるようにプレーし、オフシーズンは地元に戻って自分の知り合いのバスケットボール関係者が関わっているミニバスなどに飛び入りで参加するなどして、子ども達と触れ合うことを大事にしています。自分が秋田に所属していた時、キングスでプレーしていた寒竹さん(現 仙台)から連絡をもらい、東日本大震災で被害にあった沿岸部に行き、子ども達を対象に何選手かでバスケットボールクリニックを行なったことがあります。子ども達は、バスケットボールに触れている時や体を動かしている時、本当に明るく元気で楽しんでくれていたのが印象的で、クリニックに行った自分が逆に嬉しい気持ちにさせられました。去年はコロナの影響もありそういった活動ができなかったですが、これからも続けていきたいと強く思っています。
 最後に、東日本大震災から10年が経過し忘れている人も多くいるかと思います。風化していく事に対しては、正直に忘れて欲しくないという思いも少なからずあります。沿岸部の被災者の方からお話を聞いたことがありますが、本当に悲惨で辛く、それでも今は強く生きている。忘れて欲しくないですね。ただ、外にそういうことを発信していくことも自分の役目でもあると思っています。地震がきた時や自然災害のような突発的な緊急事態の時は、まずは自分の安全を守ることを最優先にして、周りの子どもやお年寄りに手を差し伸べてみんなで乗り越えてほしいと思っています。そのためにも日頃からの備えをして生活する人が増えてほしいです。
 自分はこれからも東北へ良いニュースを届けられるように全力でプレーし続けたいと思います。


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